水鏡文庫

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蒼い朝に

 

7センチのヒールをかつかついわせながら駅前を歩くおねいさんが踏んづけた知らないスーパーマーケットのチラシを拾い上げたぼくの行き先は何処にもなかった。おねいさんの浮腫んだしろい脚はとてもきれいでつよくてちょっとさびしい。ぼくはピンク色のカミソリの入っていたいつもの水色のカシャカシャしたウインドウブレイカーのポケットに手を突っ込んで駅のホームまでたどりついた。満員電車に飛び乗ったおねいさんはどこかにいってしまった。ぼくはどこにもいけないの。あ、線路にしろい花が咲いている。きれいだ。このまま電車に轢かれてしまうより、ぼくが摘んで家に帰ってあのちいさい瓶にさしたらどんなにかわいかろう。線路に軽快に飛び降りたら、きゅうにいままでの憂鬱がうそみたいにたのしいきもちになって、らくになって、ふわふわとして、ああ。あーあ。

 

きみは、いい子だよ、だれよりもいい子なんだよ。生きていて、それでいいんだよ。小学校の工事中の体育館に、だれにも迎えに来なかったちいさな私の姿があって、迎えに来てくれるひとはいなかったから、私は私を迎えにいって、ちいさな手を繋いで、おうちに帰ろうねって、20年ちょっと生きてきてはじめて、きみはいい子だよって認めてもらったような、そんな気がするんだ。汚れてないランドセル、黄色の帽子に、画鋲が刺さった上履きと、消えないマジックペンの落書きが、いつまでも、ずっと。

 

都合のいい人間になりたくない。きみにとって都合のいい人間にはなりたくない。きみに、愛してほしいなんて傲慢だけれど、それでも、都合のいい人間にはなりたくない。コンビニの捨てられたエロ雑誌をトラックが轢いて知らない中学生に拾われるような人生はもういやなんだ。きみにとって、都合のいい人間になってしまったらもう私は死ぬしかないのだ。

 

知らんひとが知らん顔で踏み潰したぼくの明日はもうあとかたもなくって、どうやって生きたらいいのかなんて、だれもお手本を見せてはくれない。お習字は得意だった。お習字みたいな人生だったら、きっとぼくの人生は、知らんひとにもほめられるような、それはそれはうつくしい、整ったものだっただろうか。

 

生きかたなんて、誰も教えてくれやしないけれど、けれども、ぼくは。ぼくは、死にたくありません。まだ、生きていたい。痛いこともたくさんあるけれど、それでも、うつくしさをつくりたい。毎日を、不器用でも、ちまちま創って、更新して、それでいいんじゃないかななんて思えるときに出会うために、そのために生きるしかない。

 

うつくしくありたい。せまい畳の部屋で、寝転がって、天井に張りつけた神様と目を合わせた。神様は、いつもわらっていた。明日から、どう生きていくかもわからないふたりが、木枯らしに吹かれて、それでも起きあがる。

 

太宰がすきだったきみが睡眠薬を飲んだのは、6月じゃなくて、ちょうど12月も後半に差し掛かるときのことだった。ぼくは、玉川上水沿いをしづかに散歩しながら、きみを想っていた。太宰がすきなのは、ぼくも同じだった。太宰がすきな店主さんのいる、ちいさなカフェで、古本を読みながら、きみを想う。オレンジジュースをもうひとつ。店主さんは不思議そうな顔をしたけれど、すぐにわかったようにゆるく微笑んだ。

 

寒中お見舞い申し上げます。私は今年、社会人になります。ふらふらと大学に行っていたら、知らない間に卒業することになっていました。黒いリボンのバレッタでハーフアップを留めて、どうにか生きていた就活生の私も、こうして知らない間に社会人になろうとしています。社会人になっても、うつくしくありたい。丁寧に生きていたい。きみを愛していたい。大丈夫かは、わかりません。それでも、精一杯やってみせます。

 

生きてることに価値なんてなくて、救済しようとしてできるものでもなくて、ぜんぶ自然になっていくものなのでしょうか。私には、人間はまだ、むずかしいみたいです。

 

愛していたいな、それでも。