水鏡文庫

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贖罪と白鳥

 

井の頭公園のまんなかに、ぽっかり浮かんだ池。いくつもの偽物の白鳥が、わらっている。ぼくは、ここがすきだった。春には、満開の桜が咲いて、ぼくのこの居場所がなくなってしまうけれど。白鳥は、いつでも変わらない。あの娘と、校則をやぶった寄り道に、乗って、それきりだった、あの白鳥。もうお世辞にも、白鳥とはいえなくなるほどに、汚れてしまった、あの白鳥。変わらない、ただぼくがここにいたことだけの記憶を、白鳥は憶えているのだろうか。あの娘は、あの日のことを、憶えているのだろうか。憶えていなくて、それでもいい。ふたりで白鳥に乗ったこと、その日の桜がとてもきれいで、ひとりじゃ行けなかった、満開の桜の日を、ぼくはたしかに憶えている。

 

孤独と孤立は違う。似て非なるものだ。孤独、みずから選びとるということ。孤立、寂寞のなかにひとり立ちつくすこと。ずっときみはひとりでいきてきたのだろうか。

 

流星群がみえるところに、ぼくをつれていって。

 

どうしようもなく、罪を犯してしまったようなときがある。生きているのが、そこにいるのが、それ自体が申し訳なく、もう消えてしまえたらどんなによいだろうか、とさえ考えてしまうこともある。どうしたらその、透明な罪を償えるのかさえわからず、くらい部屋で、ベートーヴェンの月光を流す。カミソリはごみの日に捨てたんだ。爪だってみじかく切って、しろいふくらはぎに蚯蚓脹れだってつくらない。

 

5.5センチのピンヒールをかつかついわせながら駅への道のりを急いでいるのは、いまのぼくだ。かつて、傘さえささずに、駅の階段に座っておねいさんの浮腫んだふくらはぎを、眺めていたぼくは、もういない。ぼくは、おねいさんになったんだ。ぼくはもう、水色のカシャカシャしたジャンパーをきて、死んだように住宅街を徘徊したりしないのだ。そのかわりに、襟のついたジャケットをぴっしりきて、かつかつと歩く。社会性だ。社会。法律なんて、大嫌い。

 

隣の席のきみ。黒髪のきみ。夏の風が吹き抜ける窓から、テニスコートを眺めては、すこし気怠げに黒板に目をやるきみ。ぼくと目が合って、やさしくほほえみをたたえるきみ。白いシャツから、ブラジャーが透けていないきみ。石鹸のにおいがする。この学校の制服はダサい。白いシャツにベルト付きの水色のスカートだ。女の子しかいないからって、ブラジャーを平気な顔してシャツから透かしているクラスメイトは、退屈なこの授業で、机に顔を突っ伏して、眠っていた。決して、授業中は眠らない真面目なきみ。やさしいきみ。

 

持病の調子がひじょうにわるく、急遽入院することになって、今日で5日たちました。これを、消灯時間1時間30分くらい過ぎた病室で、書いています。私は、誇れることがいまの仕事先くらいしかなくて、それを失うのが、とても怖いです。でも、生きるためには、身体をどうにかしなくてはいけません。この身体を呪ったこともあったけれど、いまは受け容れて生きています。仕方ないって思うこと、案外重要なのかもしれません。今日も生きてるからにはどうにかしていくしかないから。どうにか。やっていきたい。

 

きみは、どうかな?調子を壊していないかな。でも、いつかまたきっと、どうにかなっていくんだろう。世界は、変容するもので、どうにかなっていくから。きみのせいではない。

 

きみが生きていてよかった、贖罪はほんものの白鳥みたいにまっしろだった。