水鏡文庫

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やるせなさ

 

さいきん、あまりにもやるせないことが多くて、もはや笑うしか方法なくて、へらへらいきてたら、ふつうにおかしくなっちゃってるのに、気付けてなかったみたいだ。耳鳴りが酷くて耳鼻科に行って、でも耳に異常ないから、精神的なものらしくて、あああってなる。

 

ずっとすごいひとなんだと、思い込もうとしていただけで、そのフィルムが剥がれたら、とたんにずっと辛かったことを思い出して、ぼろぼろになるのが、もう無理だった。ずっと尊敬していると思い込もうとしていただけで、ほんとうは。嫌なことに蓋をして見ないふりをしていたみたいだ。かなしい。それがわかってしまったのが、とてつもなくやるせなくて、かなしい。

 

恥ずかしくないように生きたい。恥をかきたくない。恥をかくと、どこでも構わず、涙が出そうになってしまうから。社会はクソだ。社会なんて、社会なんて大嫌い。今も昔も、ずっと大嫌いだった。悪いものを悪いといえない社会が嫌いだ。ひとのこころを傷付けることを、なくしたくて、がんばっても、知らん振りされて揉み消される社会。私のことなど、見つけてくれない社会。私は永遠に社会のなかに取り残されたまま、ずっとひとりで自分の影と戦って、ばかみたいだった。私だけだった。

 

友人が、日常的に人格否定発言をする上司のことを、話してくれたから、私はどうにかでも友人の力になりたくって、そういうとき、私は自分の正義みたいなものに、取り憑かれてるのか分からないけど、今後の対策を考えて長文のLINEを送ったら、仕方ないよねってあっさり返ってきたから、ああ、こんなに熱くなっていたのは、私だけだったんだ、ってなんとなく、周囲と自分の考えの違いみたいなものを、まざまざと見せつけられたような、気持ちがした。

 

いろんな人間がいるけど、それは分かるけど、ほかのひとのことを、すくなくとも意図的に傷付けることは、本当になくなってほしいなと思ってしまう。だけど、私は私で知らないうちに知らない誰かを傷付けてしまっているのだから、どうしようもなかった。でも、意図的に傷付けようと思ったことは、ないつもりなんだ。でも、不思議なことに、意図的に傷付けられたことよりも、無意識に傷付けられたことのほうが、ずっとずっと辛かったりもする。でも、人間の心を傷付けることは、なるべくなくしていきたいから、私ができることは、意図的にひとを傷付けないようにすることだけ。

 

というような、あからさまな正義感みたいなヒロイズムを振りかざしてみたって、たいして変わりはしないのだけど、でも、それでも、諦めたくないことがある。傷付けたくないから、何も話さないほうがいいとか、傷付けられたくないから、みんないらないとか。でも、それってものすごく寂しい。だから、私は人間を諦めたくないし、人間のことが好きなのだ。世界に舌出しても、人間のことだけは、抱きしめていたいから。

 

自分はこうあるべき、人間はこうあるべき、社会はこうあるべき、みたいな規範がめちゃくちゃ自分のなかにあることに、気付いた。それを振りかざして、他者を気付けているかもしれないことにも、気付いた。規範に首を絞められて、身動きが取れないのに、それが気持ちよくて仕方ない。才能ないから、努力でカバーしようとして、ぼろぼろになるのも忘れて努力することが、気持ちよかった。

 

あ〜あ、毎日毎日雨ばっかりで嫌になっちゃうね。小雨は好き。傘をささずに歩けるから。最近は、普通に傘ささんとびしょ濡れになるくらいは降ってるから嫌だな。

 

たのしいことたくさんみつけて、すこしずつ縫い合わせてでっかい人生つくろうね。それで、世界にあっかんべーしながら、でっかい人生で包み込んじゃえばいい。

 

最近、病んでも立ち直りはやくなったな。