水鏡文庫

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嫌い

 

 

身体より大きいものを抱えて、へらへら笑って生きるしか方法がわからなかった。いつもそうだった。ひとより抱えてるものが、デカければデカいほど、すごいのだと思い続けていた。逃げ出さないことが、何よりもいちばん正しいのだと、いまでもすこし思ってしまう。処世術っていえばきこえはいいだろうが、たんにそれしか生きていく方法がわからなかったからだとしか思えない。嫌なことから逃げること、それはすなわち努力を怠っていることなのだと、逃げずにいたら、どういうわけか、死んでしまっていた。

 

壊れた旧型レコーダーのイヤホンが脚にまとわりついたから。蹴飛ばして寝場所さえない床を睨む。不快な音楽がいつまでも脳味噌にこびりついてしまって、不協和音をかなでつづけている。死んでしまえばよかったはずなのにもうぼくを殺せないくらいのゴミ屑になっていたのをいつまでも知らんぷりして歩き続けていたね。きみのために死ねるなんてそんな嘘はいらないんだ。ぼくはきみのために生きているのだからその逆があろうともきみだけは。きみだけは護らなくちゃ意味がないんだから。ぼくはぼくのためにいきていけない。きみのために死ねるのはぼくだけなんだから、ぜったいにぼくだけなんだから。ゆるさないゆるさないゆるさない。

 

病んでるほうが、ぜったいいい文章が書けるんだよな。文章書くために病んでたほうがいいような気がしてきたし、私に光が似合わなすぎて、逆に目が眩んでしまって、屋根の下の寒いとこを選んで歩くぐらいしか為す術なくって、自分のこと騙し騙しあやして生きてみたけど、つらさとかくるしみとかそんなん埋め込まれたトラウマは、なかったことにできないんだと急に我に還ったりする。たんに頭が良くないんだと思う。ペンチで歪められた釘はにどとまっすぐにはなれず、何処か歪みが残っている。私は人間の気持ち悪いところが大好きで、そしてとても怖い。怖いから、だから大好きになろうとした。それもまた、きみの処世術なのかもしれないし、私にみせているそれがほんものなのかもわからないけれど、私にみせているそれと私以外のほかのひとにみせているそれが、あまりに乖離しているのを、まざまざと見せつけられてしまうと、人間の怖さを思い出してしまう。でも、私だってはじめは、私以外のほかのひとだったのだ。きっとこういうひとなんだろうな、って勝手に想像して好きになって、でも蓋を開けたら違って、それを怖いからと拒否するなんて、我ながらなんて傲慢な人間なのだろうかと思ってしまう。嫌いなひとのことを、完全に嫌いになるなんてできない。好きなとこが残っているぶん、手を振りほどくほどの、勇気もない。

 

私は使われてるのかもしれない。ひとりでいるのがいやだから、私と一緒にいるのかもしれない。かわいい服を着てるのを、際立たせるために、私はいるのかもしれない。そもそも私に、意味などないのかもしれない。よくわからない。だいすきなひとたちのことも、急に信じられなくなって、ひとりでうずくまるしかできない。眠い。寝たい。疲れてしまった。すこしだけ、休ませてほしいよ、人生のすべてから。

 

朝のひかりがカーテンから漏れだして、ほかの高層マンションに囲まれた私の部屋には、それは陰になって夕方からしか陽の光を浴びられない。きっとまた戻るから。もとの私にはきっと戻れるのだから。死ななければ、戻れるのだから。だから、なんとなく流れに身を任せてだろうと生きていくしかないんだ。人間が怖い。きみのことがとても怖い。嫌いなのかもしれない。ごめんね。