水鏡文庫

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4月の青

 

 4月、絶望である。絶望といっても、まっくらくらのそんな絶望じゃなくて。ふわふわってしたもっとあかるい絶望。絶望は、べつにまっくらなだけじゃないなあって気がついた。大学に入って3年目になって、もう3回目なのに、新学期はいつもこんなあかるい絶望に包まれている。慣れない。私はもう、私のペースで歩くから、まわりのことは気にしてないふりして大学生活を送ってきたけど、そんなのふりに過ぎなくて、やっぱりすごく神経質になっている。私はなんにもしていないなあって、すごくすごく不安になって、馬鹿みたいに爪を齧ってる。

 

この前の木曜日に、今学期はじめてのゼミがあって、10人くらいいて、私はそのゼミの教授が大好きで仕方なくて、それで入ったんだけど、そのときの自己紹介と顔合わせで、私って何でもないことを言い訳にして何にもしていなかったのかもって、焦った。でも、私は私にしかできないことがあるんだって、信じてるから、今はもう前向き。だけど、そのときは不安になって、うまくやっていける気もしなくて、議論も先輩や教授としてた1年生のころがいちばん楽しくて、でもゼミには同学年しかいなくて、喉が詰まった。

 

みんな普通に話してるときはみんなが違ってて面白かったのに、自己紹介になった途端に、みんなおんなじ教職とか就職とか就活とか教採とかボランティアとか、そんな話ばっかりになっちゃって、なんかこわかった。リアルすぎたのかな、吐きそうなほどつまんなくて。誤解を招く表現をしてしまったけど、まわりはみんな生き生きしていて、生きていこうとしていて、それがなんか私には気持ち悪くて、でも、まわりのみんなは全然絶対悪くないし、むしろ私なんかより何倍もがんばってて、あかるくて、それで絶望した。あかるい絶望ってそんなかんじ。春ってみんな生きようとしてるから、私はそれ見て勝手にめっちゃ気持ち悪くなって、私ってほんとに馬鹿だなって思う。ちなみに私は、ほんとになーんにも考えてないし、嘘もつけないから、就活いまは考えてないです。フランツ・カフカと教授が大好きです。教育哲学専門で研究したいです。文学と演劇とヴァイオリンが好きです。って、それだけ話した。みんなの言葉がまったく違う言語圏での言葉みたいにかんじて、私だけがなにもできてなくて、どうしようって思ってた。不安が襲ってきて、私でもとある資格なら、今年毎日大学行ったら取れるよって友達にいわれたから、今年は毎日大学に行くよ。

 

どうでもいいけど、その資格とるための必修の講義で、クソフェミニズムはもういらない、って言った教授、なんか知らんけど面白かったな。フェミニズムに、クソがついて、吐き捨てるようにクソって言って、そのあとフェミニズムって言ってた。いまは、ポストフェミニズムの時代らしいよ。

 

好きだから心理学と哲学をたくさん取って、資格の必修も入れて、でもなんだか人間みたいになれるかもしれないし、ちょっと期待しておくから、だからあかるい絶望。キルケゴール死に至る病を買った。憧れの岩波文庫の青。哲学とかそういうジャンルの本は、青い色がついてる。普通の文学は赤い。あとは、そのゼミで使うほかの岩波文庫の青。それを何冊か買った。

 

自分はどうしたいのかわからないし、将来自分が生きてる予感もしないし、終わらない上りのエスカレーターに乗ってるイメージが湧いてくる。いままで何度もそのエスカレーターから飛び降りようとしたけど、できずにここまで上って来ちゃったから、いまさら飛び降りたくない。だけど、先はなんも見えなくて、それで不安。

 

ひとりでいたいときってあるけど、そばにいても全然ひとりでいるときとおんなじ精神でいられるような、そんなひとがいる。ひとりでいようとしていても、そのひとがいたら、そばにいるほうを選んじゃう、そんなかんじのだいすきなひと。大学にいるのはたったひとり。先輩。大学で講義一緒に受けようお昼食べようって声かけられる、所謂イツメンっていうの、一応私にもいるんだ。その子たち4にんはみんないい子で大好きだよ。だけど、逃げちゃうこともある。大好きなのに、ごめんね。その子たちと、いると楽しいはずなのに、疲れちゃうから、先輩に会うために学生相談室に行って、いつものソファにふたりで座って、それだけ。

 

たまに、こうやってブログ更新してみようかなっていうの、れみちゃんの真似。楽しかった。1週間のまとめ、こうして書いていきたい。続くかは、知らんけど。

 

そろそろ寝たい。

 

今度、私が人間を救済しようとしていることが如何に愚かな考えだったか、を書きたいんだ。今度が、いつになるかはわからない。明日かもしれないし。

 

小説家になりたい。