水鏡文庫

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愚か

久しぶりに、だいすきな『デミアン』を読んでいたら、こんな時間まで眠剤を飲まずに、熱中してしまって、しばらく眠たくならなそうだから、こんな露骨なタイトルの、文章をかこうかしらと思い立ったが、深夜2時30分すぎ。

 

ほんとの、ほんとはね。だいすきだから、読み返したっていいたい。けど、ほんとは、卒論で使いたいから。だから、読み返したんだ。そんな動機で本を読んでも、それでも善いものは善くて、なんだかむずむずした。

 

「あのねぇ、はぁ……きみのことを信じていたから、ぼくはこんなにもさ、時間を削ってきみと話をしていたわけじゃない?それなのに結局ぼくの心をぐちゃぐちゃに踏み荒らしてホントにホントにさあ、かなしくてしかたないってわけ、言い訳しても無駄なんだから、こうしてはなしているってわけ……ちょっと、聞いてる?」

 

絶望なんてない、うそだうそだうそだぼくにうそをつくんじゃないみんな死ね、ひと息にいってからもうどうなってもいいやなんて思いながら眠っている。

 

私は狂人やもしれぬという恐怖が、私を狂人にする。

 

あいする貴女の可能性を私がつぶしたくないから、結婚なんて申し訳なくて、できないわ。もちろん、私は貴女に恋人ができたら嫉妬するでしょう。貴女はうつくしいもの。きっといつか恋人ができて、結ばれるわ。だけど私に、いつかそれを祝福できるときがくるはずよ。貴女が私に注いでくれる、あいに拠ってね。

 

愛についてなど、長々語ってみたところで一向に眠くなどならないのだが、これはほんとうの気持ちなんだな。

 

愚かだと、自ら思うことがある。でも、愚かってそんな愚かなことなんかな。愚かでいいんじゃないかな、みんな愚かだ!愚か!

 

ヘッセや、太宰みたいな、すてきな小説を書くみたいに、卒論を書きたいな。型にはまって、きまっているような、そんな文章なんて、なんだか、かなしい。灰色をしている。だから、本当はすてきな小説を一ぺん、仕上げて、それを卒論にしたいのだ。

 

今日も明日も、愚かでいいさ。

 

さあ、きみも、もうおやすみ。

 

 

水色のいるか

夏なんてさっさと滅びろやなんて悪口ばっかいいながら歩いてたら本当に最近は涼しくて過ごしやすいですね、多分ね、それ私のせいなんですよ。この世界のわるいこと、全部、私のせいなんだって思っている、そんな自意識がデカい虫になってもぞもぞ動いて……って考えてたら、キモくてしかたねえの。

 

水色のいるかは、今日も泳いでいる。私のことを、ずっと知ってるのよ、このいるかは。私が、自分に傷をつけていたあの日も、このいるかはずっと天井から見ていた。

 

しあわせのあとにはかなしみがあって、それがじんせいなんでしょ。だから、くるしいことがあるかもって、不安になって、部屋のなかを、檻のなかにとじこめられたみたいに、ぐるぐるまわっているだけだった。

 

就活がひと段落ついたら、今度は卒論で、やらなきゃなんないことなんて、いっつも、山積みなのに、それでも、やりたいことは、あったんだよ。不安にまみれて、もはや死んでしまいそうになるくらいに、溺れていく。

 

海のなかに、ひとりぼっちで飛び込んで、あなたのとこにいけたら、どんなによかったかな。

 

くらい海の底が、きらきらひかっているとおもったら、ただの硝子だったなんてこと、たくさんあるけれど、その硝子を愛していたいのだ。

 

睡眠薬を酒で飲んで泥のように眠ってそんで昼過ぎに起きるような生活でもそれでももがいてしまうボクは本当に本当にだれより人間らしくて嘔吐くくらいにどうしようもねえななんて噛んだガムを空に吐き出して缶からを蹴飛ばしてああもう死んでしまいそうだなんて笑うボクのカシャカシャした薄っぺらなウインドブレーカーは水色。

 

あーあ、もうやることなくなっちゃったし、死んでもいいかなあ

 

仕事決まって、来年から働くけど、すぐにダメになって辞めてしまう未来しかみえなくて、頭の中がぐらぐらして、ふらふらして、薬を飲んで眠っている。

 

死ぬほどやったって死なねえよ、それが口癖だったあいつは、本当に死んでしまって、笑えやしねえよ。葬式で、涙さえ出なくて、へらへら笑って、美味しいお寿司を食べたら、涙が出てきたから、トイレ行って、涙拭いて、またへらへら笑って、おもしろいな、泣いてんのに笑って、感情がどっかいっちまったんだよ、あいつのせいなんだ。死んじまったら、死ねないだろ。ばーか。

 

涙が空に落ちて、水色にボヤけた。

 

愛しているなんて、本当だよ、幻覚でもいいからさあ、おねがいだよ。

 

ばーか。

 

追憶のきみ

あついなつ、なついあつさに人間は融けて、アスファルトに貼り付いている。気持ち悪い。気持ち悪くて、どうしようもなく愛おしい。人間は、私にとって、はじめから、ずっとそうだった。だから、私は人間になりたかった。

 

就活のときの私は、くるくるのデジタルパーマをかけたじまんのピンクがかった茶色いロングヘアも我慢していた。だけど、ヘアスタイルだけは許せなくて、まっすぐにした焦げ茶色の髪をいつもどおりのハーフアップにしていた。もちろんそこに、ピンク色のリボンはつけられなかったけれど、その代わり黒い小さなリボンのバレッタを付けていた。ピンクのリボンではないけれど。髪ゴムを剥き出しにしたくは、なかったから。自分の譲れないものを、すこしづつけずって、どうにか自分を保っていたんだなあ。

 

普通ってなんなんだよ。普通、普通、って気軽に言うけど、普通ってなんなのか、考えたことあるのかよ。普通なんて規範、すぐに壊れてしまうような、脆弱なものなのに、そんなものに縋るくらいなら、すべてやめちまったっていい。

 

私のなかにいるボクを呼び寄せて内緒話をする。

 

夕焼けが綺麗なときも、みじかい小説をかくときも、思い出してしまうのは、きみのことだよ。

 

生きていたことは、生きていることは、ほんとうにすごいんだよ。生まれたことが、すごいかは知らんけどさ。きみが、きみ自身が、生きていたこと、素晴らしかった。

 

綺麗に生きていきたいけど、そううまくはいかないから、幻想をはがしても、現実のかたい壁にぶつからないように、優しくつつみこんで、生きていきたい。なんとか、息をしていたい。

 

現実なんてそこらじゅうに転がっている。蹴飛ばしてみても、おもしろくない。だけど、かわいく生きていたい。

 

きみは元気かい。厳しい手術のあと、やっと歩けるようになって、病院の窓から外を覗いている、きみへ。白い点滴のパックがゆれて、溶けた。追憶のきみへ。

 

 

諦観の追悼

私は、諦めたくなかった。いつも、そうなのだ。諦めたら、悔しいから。きみにあげるプレゼントは、ぜったいにきみにぴったりのものにしたくて、ちょっとの妥協も諦めも棄てた。

 

誰が悪いとか犯人探しするよりさ、祈るしかないことが、たくさんあるんだって、わかって、どうしようもなさに、厭きることは、きっとこの先もあるんだろうな。

 

人間は、均しいさ。ぼくは、きみのことを、人間だと、そう思っているんだ。

 

きみのことを、愛しているひとが、たったひとりでも、存在していた、もしくは、しているのだと信じるだけでいいよ、それだけでも、いいんだよ。

 

私は、きみのかなしみもしあわせも大切にしたいんだけれど、きみがそれを大切にできないっていう気持ちがあることも、大切にしたいんだな。

 

愛しているから頂戴なんて、傲慢だよ。

 

今年の夏は、もう夏じゃないのかもしれないなんて、ちょっと身体はよろこんでいたけれど、冷房の効いた、つめたい空気を吸い込んだときの、じぶんのあつさが、ぜんぶぜんぶ透明になる、あの感じが、嫌いじゃあなかったんだ。

 

きみのいない、夏。3年前、一緒に世田谷区の経堂駅を、暑いねって笑いながら、歩き回って、ケーキ買って、奥まったきみの部屋で食べたよね。きみがはやく、げんきになって、わたしに会ってもいいと思えたら、それで、しあわせ。はじめは、なんでかなとか、きみを傷付けたんじゃないかとか、かなしくて、仕方なかったけれど、きみを死ぬまで信じてる。

 

融けて、アスファルトになるのはごめんだ。

 

生きていることが、とてつもなく気持ち悪くなって、指突っ込んで吐いた深夜に、人間がこっち向いた瞳を思い出して、タオルケットにくるまる。

 

カラオケボックスで、死にたいな。

 

人間の、目が怖かった。こっちをギョロリと剥いているのが、とてつもなくて仕方ない。久しぶりだった。弱っているのかもしれない。

 

ピンク色もMILKも、捨てたくなくて、処女なんて今すぐにでも捨てたっていいから、ピンク色とMILKだけはまもりたいよ。ママに、顰め面を向けられても、たくさんのいちごがプリントされたすてきなMILKのワンピースに、ピンク色のリボンのカチューシャをつけて、歩いていたい。

 

精神安定剤をのんで、やっとまいにち、みんなにみえるわたしを創り上げているのよ。

 

空の水色と、きみの水色と、海の水色が、反射して透明になる。それがうつくしくて、ぼくは夏が嫌いになれないんだ。夏が嫌いになれないのは、きみのせいだよ。

 

それでも、生きるしかないんだといつも、そう思っている。わたしだって、大学卒業できんのかなとかちゃんと内定先になじめんのかなとか、不安でできてると言ったって、言いすぎじゃないくらいに、不安で仕方ないけれど、きみが生きていることは、うつくしい。

 

あなたの生命に、祈ります。うつくしかった。

 

洗礼と誕生

はじめに

この文章にはアニメ『さらざんまい』の最終話までの内容を含みます。

 

4月からずっと彼を追いかけ続けていた。彼のしあわせをただただ、祈っていたのだった。でも彼は人々とのつながりを糧に、硬い卵の殻を破っていった。かつて、絶望に身をまかせていた彼はもう、たとえ私が彼の幸福を用意しなくても、生まれかわることができるのだ。私は、すこしの胸の痛みと別れを告げて、心から彼を祝福したいと思っている。ようやく私は気がついたのだ、彼に私自身を投影していたことに。

 

あまりのフィルムのまぶしさとみずいろに、未来を感じた。ただ、ひとつ分からないことがあった。少年刑務所からでてきた彼が、川に飛び込んだのが、はじめみたときに身投げのように思えて仕方なかったからだ。だけれども、その後のラストははじまりを予期させるものそのもので、戸惑ってしまった。

 

けれどいまは、彼のあの行為が、誕生のための洗礼だったのだと思えてならない。洗礼とは、新たな人生のはじまりを予感させるものだ。私は、この物語の「それでも」が、だいすきだ。それでも、それでも、それでも、切り離されても、未来を掴もうともがく、彼らの姿はうつくしくて、私には、はるかとおい、みずいろのように感じたけれども、私が流した涙は、たしかにみずいろだったのだ。

 

彼の人生はたしかに終わっているかもしれない。それがどうしたというのだ。それなら、はじめればいいのだ、一瞬の間でもこれまでのことはすべてきれいさっぱり忘れて、水のなかで生まれ変わるときがあったっていいじゃないか。ちょうど、私たちが羊水のなかから誕生するように、川に飛び込んだっていい。彼は、つながりを辿って、この世界に再び誕生したのだ。

 

暑い夏の日、プールを掃除していると、水をかけられ、かけ返し、結局びしょ濡れになってしまうような、そんな情景が、私のなかにある。みずいろは、あかるい。未来はたしかに、そこにあるのだ。

 

だけれども、明るいことばかりとは限らない。くるしみはたしかにそこにあるのだ。彼が少年刑務所に入ったのも、そのくるしみも、たしかにあるのだ。それでも、生きていかなくてはならない。

 

私には、絶望がお似合いだ。どこか罪を感じていた。けれど、それがどうした!と言ってくれる彼は、まぶしくて、私たち視聴者の人生をたしかに照らしてくれる。

 

死ぬつもりなど、これっぽちもない。ただ、新しい世界に出会うため、新たな私に出会うため、生まれ変われるのだ。ついに、幾原邦彦は卵の殻を破ったその先を描いて、私たちに贈ってくれた。

 

私は、きっと彼の存在をこの先も、ずっとこころのなかのぴかぴかした宝物として、たいせつにしまって生きていかなくてはならない。それがどうしたと言ってくれた彼を、久慈悠を、この先も愛している。

 

祝福はいつだってそばにある、ただ気がつけないでいるだけだよ。私たちは、もっとライトに誕生できる。いつだって生まれなおすことができるはずだから。

 

今年の夏は、久しぶりに海をみにいきたい。サンダルに砂が入ることなど気にせずに、水際まで走っていって、それから、かわいいお気に入りのワンピースを着たまま、ひと思いに飛び込んでしまいたい。濡れたっていい、新しい私の誕生なのだから。そこで、笑いかけてくれるあなたがいたら、文句なしだね。

 

 

きみになりたい

 

ぼくは、きみに、なりたかった。かわいくて、一生懸命な、きみに、なりたかった。けれど、なれなくて、だって、きみはぼくじゃなくて、ぼくはきみじゃないから、でも、なりたかった。それに気がつくのが、あまりに遅すぎた。ぼくは、きみにきらわれた。それは、あの夏のことだった。

 

夏服の、半袖のブラウスが揺れて、そこから骨みたいに白くて、痩せっぽちの腕に、手首があって。そこには、たくさんの絆創膏が、べたべたとはられていた。じぶんでつくった、悪いじぶんを、罰したくてつくった、あのあかい傷は、いまはもうしろくなっていた。けれど、あの夏の日につくった、あの傷はいつまでも、目立たなくなっても、いつまでも、刻まれている。

 

きみにとってわたしがうんめいじゃなくてもわたしにとってたしかにきみはうんめいだったんだよ。

 

愛している、重さ。21グラム。

 

ママの財布から抜き取ろうとした1万円の感触は、いつまでも、ぼくの手からすり抜けなかった。

 

きみになれたら、きみのことぜんぶ、わかって、嫌になっちゃうかも、しれないな。

 

永遠は、いつまでもそこにあって、それでいて透明で、すり抜けてしまうようなもの、ずっとなんてなくて、そこには、おわりがみえてるけれど、永遠なんだよ、何言ってるのか私もわかんないけどさ。永遠は、尊いから。

 

最近、しあわせになってほしいなって思うことが多くて、でもそれってめちゃくちゃ無責任じゃねとかいろいろ思ったりしたけど、でもさ、しあわせになってほしいなって祈ることはうつくしいよ、うつくしい。うつくしくいたいな。

 

きみが焦がれた青空も、ぜんぶ、ぼくが水色に塗っていただけだったって知ったら、悲しむかしら。きみがみている景色、うつくしくあってほしくて、それだけだったんだよ。

 

こわいゆめをみた、とってもこわいゆめだった。どんなゆめだったかは、すっかりわすれてしまって、ただ、こわいというぐるぐるした感情のうずまきにのみ込まれて、身動きが取れなくなっているような、ゆめ。

 

私は、物語のなかで大切な人間が、幸福な死を与えられることほど、すばらしいものはないと、そう思っている。

 

あのときのきみへ

わたしは、たしかにいきています。100年経ってもこの傷は、わたしを罰したくてつくった、あの傷は、その証拠です。

 

きみも、生きていてね

 

わたしは、生きて痛いな、ちょっと、痛い 

だけど、生きていたいから、愛しています

 

 

 

花束はいらない

 

 

うつくしいこと。うつくしいことをしたい。祈りを愛すること、たしかにうつくしいと、思うのです。

 

明日、誰にもわからない。私が死んでしまってもいいように、死んでしまったら、私の欠けたティーカップで、一緒にお茶を飲むかもしれないじゃない。きっとそれは、薔薇があしらわれたピンク色の、たぶんね。

 

うさぎの耳は、いつも長いけれど、短いのもとってもかわいいし、しあわせを祈っても、いくらでもかわいいから、好い。

 

あなたのなかに、愛がなくても、きっと誰かがあなたを愛しているはずだという、そう信じるだけでいいんだ、愛はたしかに、そこにあるよ。

 

はんぶんこしよう、愛を。

 

きみのまごころは、痛みで、わたしのまごころは、いつだって歯がゆかった。伝わりもしないまごころに、意味がないだなんて、泣かないで。信じていたら、まごころはいつもそこにあって、わたしはそれに気がつけなかっただけだったのだなあ。

 

素敵な感情を、消費してしまうの?

 

傲慢さ、受け容れなくていいという、その傲慢さ。いつまでも、持っていてね。

 

私は、運命だと信じていたから、あなたを運命だとたしかに信じていたから、あなたのもとに私のボトルメールが届いているでしょう?それだけで、いいんだ。

 

私は、気持ち悪い夢をたくさんみました。

 

人間って、気持ち悪いのに、いつまでたっても生きていて、なんだか愛らしくなっちゃった。私が、人間だという確証も、ないけれど、それでもいいから、人間を愛していたいんだな。

 

ベッドのしたにいる、君へ。いつになったら、出てきてくれるんだい。本当の、わたしなの?

 

私の本棚は、今日もうつくしいです。だれにも荒らされることはなく、うつくしさを保ち続けています。

 

私は、あなたにいつまでもうつくしい風景をみていてほしいと思うのだけれど、それも、きっと無理なことなのでしょう。だけれども、それでも。願うことは、できるのだから。

 

私の夢に、私をいじめていた子が出てきて、私に懺悔しているのだけれど、私は、あなたのしたことを、許さないし、許すことはできないの。許さなくて、それがいいの。わからないけれど。きっと、答えはでないけれど。

 

私は、しあわせになりたい。そうして、あなたもしあわせになれたら、どんなにしあわせか。そう祈ることは、きっと罪ではない。

 

花束は、いらない。