水鏡文庫

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うそつき

 

気が付いたら、私がどこにもいなくなっていた。

 

愛されたかった。嫌われたくなかった。そのくせ、ひとから好意を向けられることが怖くて、それはほんとの私じゃないから、きみの見ている私は、たんなる幻想のなかの女の子でしかないのだと知ってほしくてたまらなくなる。私にはなにもないから、本当の私のことを見たらきっとみんな嫌いになるだろう。嘘をつくのは得意だった。好きになってほしかった。人間らしくいろんな人間に好かれたかった。愛される人間になりたかった。でも、私が人間に好かれるはずなどないから、私が好きな人間になろうとした。私は私が好きだと思う人間を創り上げた。それを、あたかも私の人格であるかのように、だましだまし生きている。私は、息を吸うように嘘をつき、周囲を騙しながら生きている。人間に嫌われたくなかったから、人間が言われたら嬉しい言葉をたくさん言ってきた。生きれば生きるほど、仮だったはずの人格が私を飲み込んでいく。ある日境い目が分からなくなった。自分がどこにもいなくなっていた。ただひとつ、自分がまだ存在するのだと実感できる瞬間があった。人間をだますときだ。人間ににせものの好意を撒き散らすときだ。人間に嫌われたくはないから。そのとき、一縷の罪悪感が身を貫くのだ。その痛み、その苦しみが、ほんものの私なのだと、まだ私はくたばってはなかったのだと実感することができる。そんな最低なやり方で、自己の存在を確認しているのだ。

私は、許されないほどの多くの罪を背負ってしまっている。どうせ逝くのは地獄だろう。けれど、許されたくて愛されたくて本当は弱くて狡い私のことをみてほしくて、けれど、そんな私は愛されるわけがないから、自分の脚本をつくってそれ通りに演じて生きていくしか、私に人権はない。なにに愛してほしくて、なにに許されたいのかも、なんにもわからないままで、ただ感情だけがそこにあり続けている。何重にも重なって、いくつ蓋を開けようと、中身にはいっこうに触れられず、見つけたと思いきや、砂の城のように脆弱なのだ。私という存在そのものが虚構にすぎず、きみが好きになってくれた私もたぶん虚構なのである。さいきんは、それに気付いてしまって、どれがほんとうの私の気持ちなのかが、まったくわからず、でもともかく思ったことをそのまま、なるべくそのままで表現したいと思っている。そうしたら、どこかに私がみつかるかもしれないから。みんな私に優しかったらいいのに。私はみんなに優しいのに。どうしてなのだろう。いつも私ばかり与えているような気がして、私のすくない持ちものをすり減らして分け与えて回っているうちに、私にはなにもなくなってしまったんだよ。

 

というのが、私のはなしだ。けれど、人間ってわりかしいろんな私をもってるものじゃないかな?私だけじゃない気がしてきた。生きてくうえでなんとなく言っておいたほうが人生うまく回るんじゃね?みたいな褒め言葉とか、こっち間違ってないけど自分より立場上の人間のツラを潰さないようにするとか、そういうのあるじゃん。それでいちいち嘘とか思ってたら、普通に無理だから、嘘も方便ってよくいうでしょ。きみのことが好きだけど、好きっていいすぎないように駆け引きするのだって、ある意味では嘘なんだから。べつに、人間は嘘つく生き物だよ。それも含めて私なんだよ。私が何人いようとも、その全部は私なんですってわかってさえいれば、きっと大丈夫なんだよ。たぶん。きっと。私も分からないけれど。だって人生1回しか体験してねえんだし分かるわけねえ!でも、こんなに最悪な私のこと知っても、狡くて脆弱な私のこと知っても、それになんとなくでも私の知らないところで救われて生きてくれたら、なによりしあわせだし、私は地獄にいくけれど、どうせ死んだら私はいなくなるんだし、なんとなくでも生きてたほうがいくらかマシなのかもなんて、ちょっと思ってしまうから、まだこの世への未練が残ってるんだな。わからないことも、許されたいのも、愛されたいのも、なにもわからないけれど、なんでもわからないけれど、それでも。