水鏡文庫

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つめたい

 

祖母が死んだ夜に、弟となにがおかしいのかわからないくらいのくだらないこと言い合って、こんなことほんとうにくだらないのに、笑うしか方法がなくって、笑えてしまう自分に嫌気がさしたりして、どうしようもなかった。祖母の遺影は、私とのツーショットらしかった。死んだら、もう会えないのになんにも実感がわかなくて、よくわからなかった。

 

アルコール度数の高いお酒で睡眠薬をかき込むなんてことは、もうめっきりしなくなっていた。自分が生きているのが気持ち悪くて、はやく死ぬために、そんな気持ちを忘れるために、飲んでいたのだから。その必要はなかった。

 

手首の傷を隠す絆創膏を貼り付けて、夏でもそのカシャカシャした水色のジャンパーを脱がなかったきみは、いつも暑そうに前髪を額にくっつけていた。そんなきみが、前を向いて歩けるようになったのは、社会になってしまったのは、どこかさびしい気がするけれど、それは喜ばしいことのはずだった。きみが社会になったというのに、おれはいつまでだって社会になれなかった。きみは、おれとおんなじだと、勝手に思い込んでいたのだ。夜道の缶からをぼろぼろのサンダルで蹴って遊んでいたあの日が、とおくなっていく気がした。おれは、何者でもなく、何者にもなれなかった。茹だる暑さに、気が狂ったことにして、多摩川に向かう。もう二度と、きみの稼いだすくない賃金でつくられた食事を一緒につつくことがないようにしたい。おれは、生きているだけできみの邪魔なお荷物になってしまったのだ。多摩川が迫ってくる。さいごにきみのきれいな大きな瞳が、おれを受け容れたような気がした。

 

暗くなったちいさい町工場でベルトコンベアから人生みたいに流れてくるパンにシールを貼り続けるのも、もう疲れてきた頃合だった。さっきからうるさいパトカーと救急車に、すこしは静かにできないのかなんて口のなかでもごもご呟きながらも、ひたすら作業を進める。永遠がもしあるんなら、このベルトコンベアのことじゃないかなんて思うくらいには、時間はなかなかうまく経ってくれなかった。六畳一間のボロいアパートのちゃぶ台に、今日はなにを並べたらよいのか考えながら。あのひとのことを考えていると、すこしはましなようなそんな気がしている。あのひとは、かつてのぼくみたいに社会ではないから、放っておくなんて出来なかった。くだらないことに、お金よりも愛してしまったから。この生活は、よっぽどよかった。ぼくは、あのひとに勝手に助かっていたのだ。まだ、パトカーがうるさい。

 

遺書は書かなかった。おれは、きみにおれを忘れてほしかった。思い出にしてほしくなかった。社会になったきみをみると、おれはひどくみじめだった。きみは、きれいだから、きっとおれより若い社会のだれかと結婚するんだろう。おれのことなんて、すっかり忘れて、立派にいきていってほしい。おれは、きみにとって必要な人間ではなくなったから、おれは必要とされなくてよい。夏だというのに、気持ち悪いくらい多摩川はつめたかった。はじめて触ったきみの手のようなつめたさだった。

 

ボロいアパートは、もぬけの殻だった。いつも窓辺で煙草をふかしながら、手を振ってくれるあのひとはいなかった。あのひとの行く場所などないはずだ。ぼくは、アパートの軋む階段を駆け下りて、あのひととはじめて会った、多摩川のそばにある暗い住宅地に来ていた。なんとなく、あのひとは多摩川で死ぬような気がしていたからだ。案の定、多摩川には警察のひとがいて、その予感は的中した。ぼくが、素通りしようとしたとき、警察のひとがあやしげな目でぼくをみつけた。3年前のあの夜。ぼくは、多摩川で死のうとしていたのだった。夏だというのに、水色のカシャカシャしたいつものジャンパーを着て。警察のひとに、いろいろきかれて、ひとつひとつに知りませんと答えながら、逃げ出したくなっているぼくの手を、引いてくれたひとがいた。草臥れた背広を着た、おじさんだった。あのひとだ。おじさんに手を引かれるがまま、夜の住宅地を走り抜けて、だんだんとおかしくなって、けらけら笑った。それからわかったことだが、実はぼくを攫いにきたあのひとは仕事をリストラされた帰りで、ちょうど多摩川で死のうと思っていたのだった。死ぬのがばかばかしくなって、かわいそうなあのひとに、ぼくはぼくの純血をあげた。あげられるものが、これしかなかったから。あのひとは、ぼくのダサい水色のカシャカシャしたジャンパーを、好きだと言ってくれた。それだけでよかった。かなしくはなかった。かなしいという、感情がよくわからなかったから。うれしくはないということだけがわかった。この暑さでカシャカシャしたジャンパーを着てきてしまったぼくは、警察のさまざまな質問にひたすら知りませんと答えながら、またあのひとが攫いにきてくれるのを、すこし、心待ちにしていた。

 

なんか、小説みたいになってんな、ブログなんだけど。いや、もとからこんな感じだったのかもしれない。あるべき姿に還ったのかもしれない。そもそも、このブログにあるべき姿なんてないのだった。あるべき姿があるブログなど、私はもっぱら書く気はなかった。これでよかった。私はいまとても、いままでにないくらいに、うまく生けている気がしている。でも、いつかそれが終わりになってしまうことも、あるのかもしれない。でも、終わりばかりを考えていたら、前に進むのが怖くて仕方ない。だから、ちょっと先にすてきなことを自力で創りながらどうにか生きている。もうここまで来たから、後戻りはできないし、しない。前を向くのは怖いから、斜めを向きながら、後ろ向きに歩いてみようかな。それでも、前には進んでいる。周囲に追い抜かされ、怪訝そうな目で見られながらも、後ろ歩きですこしずつ進んでいく。そんなことをしているうちに、同じく後ろ歩きですこしずつ進んでいる人間が、すこしだけれど自分のほかにいることに気付けるようになる。そういう人間とたまに手を取り合いながら、そのまま進んだっていい。この間、精神科の薬が1錠減ったのだが、私が減らしたいと主治医に言ったら、主治医はずっときみがそう言い出すのを待っていた、とさもうれしそうに言った。そのときの主治医の顔を、私はしばらく忘れられそうにない。だから、きみも、なんとか生きていてね。私とたまに、手をとって歩いてね。きっと人生はベルトコンベアだけではないから。私から、私のほうから、歩かなきゃならないときもある。もし、何かにぶつかったら、ベルトコンベアのせいにすればいいよ。私は、これを読んでくれた、きみが好きだから。

 

 

 

繕い

 

取り繕ってるようにみえているのだろう。必死に生きているつもりだった。どうにか継ぎ接ぎのぼくで間に合わせることができるほど、かなしいことに、ぼくはかしこくはなかった。凍ってしまったミネラルウォーターは、ぼくののどを潤してはくれなかった。役に立たない。ぼくだって、なんの役にだって立ってないような、そんな気さえするのに、そんなのぜんぶ幻覚だと思い込んでしあわせに暮らそうとしているだけなのだろうね。こうして、繕い、針と糸でちくちくしながら、生きている。それしかできないのだと思っている。でも、悪くはないんだ。ぼくは、ちょっとだけこの生きかたを愛してしまっているからさ。

 

ぼくは、いつまでもフィルムのなかに閉じ込められている。薄暗いロードムービーと、いつまでも佇むぼく。水色のセーラー服の、あの子。

 

償い、なんて辛気臭えタイトルにはしたくなかった。なんも償ってやいない。ぼくは、ぼく自身を繕いながら、生きてきたのだ。愛される価値も、愛される自信も、なにもなく。愛されていても、それが愛だと自覚が持てず。ぼくはぼくを尊重することに欠けているみたいだ。デカい自尊心の壺の底には、じつは穴が空いていて、誰かからもらった感情が、いったん溜まったかと思いきや、穴からどろどろ流れ落ちていってしまう。ぼくの、自尊心の壺はいつも空っぽだ。穴をちいさくするには、どうしたらよいのか、医者と話しながら。ぼくは、かならずぴかぴかの自尊心の壺を手に入れてみせる。穴が空いてない、つるりとした底の。

 

生きていることを褒めてくれてありがとう。生きてきたことを認めてくれてありがとう。23年間も生きてきてしまったから、この先もたぶん流れに任せて生きていくんだろなと、そう思います。自殺はもう諦めました。人一倍高いプライドと穴が空いた自尊心の壺を抱えて、ぼくはぼくを繕いながら、ちょっと生きます。めちゃくちゃ生きません。めちゃくちゃ生きると、疲れますからね。なめるなよ。

 

 

 

 

 

蒼い夜

 

深夜3時の病棟の廊下は真っ暗だった。ぼくしかいなくてだれもいない。心地よい。病室から見える新宿は今日もかなしくなるくらいにきれいで、ぼくはここからでられないのに、夜景にとけてなくなりたくなった。

 

夜の新宿が好きだ。キャッチのおにいさんをピンクのイヤホンで遮断して、しらないおねえさんの名刺を踏みつぶして、大切なチェキを護るように握りしめて、歩いた青い夜のことを、ぼくはきっと忘れないだろう。

 

ぼくは、げんきだったころがあまり思い出せなくなった。去年の夏頃からずっと入退院しているぼくは、身体が衰弱しているのをたしかに感じていた。夏に出会ったやさしいおねいさんは、去年の冬に死んでしまった。クリスマス前のことだった。車で迎えにきてくれた父親と、声をあげて泣いた。寒い青い夜のことだった。

 

ぼくは、げんきだった。でも、それがとおくはるかむかしのことのようで、家族に励まされても、素直に受け取れなくなって、ぼくは、げんきだったころのぼくを、感覚で取り戻そうと思っている。

 

きみが悪い。こんなぼくのことを嫌いにならないきみが悪い。こんな最低なぼくに、微笑みを向けるきみが悪いんだ。ぜんぶ、きみのせいなんだ。ぼくは、これっぽちも悪くない。きみが、ぼくを好きだなんて、きみは愚かだ。こんなに最低なぼくを好きだなんて、おかしいよ。そんなの。いくら傷付けても、傷付かないきみがおかしいよ。ぼくのために、死ぬなんてそんなのないよ。なんで死んじゃったんだよ。やっぱりきみが悪いよ。

 

ずっと救われていた気がしていたひとがいた。勝手に救われていたのだった。ぼくの勘違い。でも、救われていたぼくを消すことはできない。アカウントを消しても、救われていたぼくは消えない。あなたのつくるものが、ぼくは好きだ。ぼくは、救いたいおまえじゃなかったから。けれど、勝手に救われた気になるのは、もうやめよう。裏切られて、勝手にかなしくなるのはもうごめんだった。ぜんぶ、ぼくの勘違い。チェキは、引き出しの奥にしまった。あなたは、ぼくの神になるのがいやだったんだね。人間でいたかったんだろうと、思う。

 

どうでもいいことばかりが、頭に浮かんでるので消化したくて不定期に更新してしまった。この部屋からは、夜景がよく見える。左手首の白い傷が、窓に反射した。今夜も、蒼い。

 

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堕天使

 

ぼくのまえにあらわれたうつくしい天使は、じつは、ぼくの自己愛にすぎなかった。天使はいつまでも、ぼくの心に居座って離れなかった。ぼくはぼくのことを愛せないから、かわりにぼくのなかの天使がぼくを愛するのだ。虚構にすぎなかった。そんなことは、わかっていた。ぼくの欠けたところを補ってくれるのは、天使だった。人間は嫌いだった。人間はみな、ぼくみたいに愚かで汚いから。わかっていたから。けれど、天使は違った。ぼくのことを決して否定しなかった。天使は、いつも優しくぼくを慰め、愛してくれた。天使は、いつもぼくのしたいように、やりたいことを、全部受け止めてくれた。天使とヤれば、自慰も女とのセックスもいらなかった。気持ちいいことが好きだった。天使は、いつだって柔らかな笑みをたたえている。天使に、いくら罵詈雑言を浴びせようと、天使は、決してぼくを怒らなかった。先日、いらいらして、天使の奇麗な顔を殴ってしまった。生白い頬に、赤が差した。痛そう。それでも、天使は、ぼくを責めなかった。やはり、天使は、ぼくのことを愛しているのだ!馬鹿な人間どもよ、ぼくは天使に愛されし人間なのだ!けれど、天使の奇麗な頬に傷を付けたことが、許せなくなり、ぶったりしてごめんねと謝りながら、口づける。天使は、いいんだよ、きみのためならばね、と微笑んだ。吸い込まれるようなうつくしさ。天使は、人間なんかとは違う。歪なところが、ひとつだってない。とにかく奇麗なのだ。それに比べて人間は、なんて気持ち悪いんだろう。同級生の女には、生理があるから、ヤれないときがあるし、優しくしろとかなんだとか周りの人間が怒るから、めんどうだった。同級生の男は、毎日のように、あの子の水着の水色を舐めるように見つめては、猿みたいに自慰ばかりしている。この天使は、男の姿をしているように見えるが、まるで女とも男とも言い難い、まさに、天使としか言いようがなかった。

 

ってここまで書いてみたけど、めちゃくちゃキモいななんだこの文章!ってなったので、一応載っけておくけど、私はこの気持ち悪い文章がだいすきなんで消さないからな!という強い意思がありますので悪しからず。

 

しあわせだって感じることを、なんとなく怖いと思うことが、よくあるんだなあ。しあわせだと、そのあとにふしあわせなことがたくさんあるかもしれないって、思ってしまうから。事実、就職に成功したんで、喜んでいたら、こんなに入院してしまうことが多くなっちゃったし。

 

追い詰められてるときに、創作活動するとめちゃくちゃ気持ち悪いのばっかり出来上がるんだけど、その気持ち悪さを愛してる私はイカれてるんかもね。

 

私には何者にもなりたくないときがある。透明でいたい時がある。人間味をなくしたいときがある。いまは女の子っぽくあることに疲れたのでせめてもの抵抗でメンズ用の水色のチェックのパジャマを着ている。べつに男の子になりたいわけじゃないんだけど、女の子っぽくあることが気持ち悪いので、女の子だけど男の子の服を着ているという物体になっている。人間になりたいと思ってたのに、いざなったら、人間になりたくなくなるときがある。いつまで続くのかは、分からないけれど、しばらく自分の気持ちに付き合ってあげようかな。

 

自分の気持ちを、ちょっとだけ可愛がってあげたいなあと感じている。

 

 

いるかの話

わたしが死んだら、彼もともにいれてほしい。わたしの涙を吸い取ってくれていた彼は、いまも押し入れから、わたしの姿を見守っている。

 

わたしは、ちいさいころからいるかという生き物がだいすきだった。ながい入院の間の外泊でみた、水族館のいるかショーは、わたしのこころをとらえてはなさなかった。人間のつくったハリボテのみずいろのなかをおよぐいるかは、それでもそのときのわたしには自由にみえた。水族館の売店で買ってもらった灰色のいるかのぬいぐるみは、いつもわたしの枕元にいて、わたしを励ましてくれた。

 

手術室に持っていってもよいぬいぐるみはひとつと決まっていた。いつもわたしの瞼が全身麻酔によって閉じるまで、その灰色のいるかはいつもわたしの手のなかに抱かれていた。手術が終わって目が覚めると、また元のように灰色のいるかは、わたしの手のなかにいた。

 

眠れない夜、深夜の病棟で、わたしは灰色のいるかとひみつのおしゃべりをした。彼はいつも、キューキューとしか鳴かなかったけれど、ずっとわたしの話を聞いてくれていたのだった。こわい手術のはなしも、いたい検査のはなしも、わたしの涙を吸い取って、キューキュー鳴くばかりだった。そのときのわたしに、言葉はいらなかった。世界にはもっともっとつらい思いをしているひとだっているのよ、母の言葉、たったそのくらいで泣くな、父の言葉、それらを信じるしかなかったわたしは、泣くことをやめた。ひたすらはなしを聞いてくれていた彼は、幼稚園に通えないわたしの唯一のともだちだった。

 

わたしは、彼の影をいつでもみていたくて、自室の天井の電気をいるかのおよぐデザインにしてもらった。でも、いるかならどれでもよかったわけではなかった。しゃべりかけても、鳴かないいるかもいたし、くどくどとお小言をいういるかもいた。でも、彼は、キューキューとしか鳴かなかったけれど、たしかにわたしのはなしを聞いてくれていたのだ。

 

11さいになったとき、彼はある日突然、キューキュー鳴かなくなった。わたしが、中学受験に追われていたつめたい雨の降る冬の日だった。わたしは、日々の忙しさに、彼に夜な夜な話しかけることも、しなくなってしまっていた。わたしは悲しかった。彼がキューキュー鳴いてくれなくなったことに。そして、彼はキューキュー鳴いてなどいなかったのかもしれない、ということに気付きはじめていた。けれど、彼の目は、いつもどおりのきらりとひかる黒い瞳だ。いつまでも、見守ってくれていた、やさしいまなざしは、いつかのハリボテのみずいろのなかをおよぐいるかを思い出させた。わたしは、久しぶりに彼に話しかけながら眠った。彼はもうひとたびも鳴かなかったけれど、たしかに彼はわたしのたいせつなともだちなのだった。

 

天井におよぐいるかたちは、彼と過ごしてきた日々を想起させた。彼はつよかった。走馬灯のような夢をみた。ハリボテのみずいろのなかを彼と一緒におよぐ夢だ。

 

わたしは、深夜のくらい窓を開けて、つめたい雨に身体をさらしながら、まるで彼みたいにキューキュー泣いた。彼を腕にだいて。あのころ代わりに鳴いてくれた、彼をだいて。

 

 

盗まれたあの子

 

生きていてくれてよかった、精神科の主治医が4ヶ月ぶりにぼくに会って開口一番そう言った。ぼくは、両目から涙を垂らしていたことを、彼から差し出されたボックスティッシュによって知った。ぼくはずっと、だれかに存在を肯定されたかったのかもしれなかった。それを主治医は分かっていたのかいなかったのかは知らないけれど、ぼく、いやこれはまぎれもなく私だが、その場で崩れ落ちるようにして号泣していた。うれしくて、号泣することなんてそうそうないような気がする。

 

盗んだビニール傘を引き摺りながら、ぼくがついに世間になってしまったことをかなしみながらも、盗まれた物語と盗まれたあの子に思いを馳せていた。みずいろのカシャカシャしたウィンドウブレイカーは、みずいろのダッフルコートに変わって、ぼくにはなんにもなくなってしまったけれど、それでよかった。今日も、定時の電車に飛び乗った、しろいむくんだふとももでスーツの女の子が、休日にはピンクと黒を纏って、楽しそうに渋谷のスクランブル交差点を歩いているなんてことは、だれも知らなかった。うまく人間をやるために、世間に擬態して生きることが、それほど苦しくはなくなっていた。完全に世間に擬態すれば、それは苦しいだろうけれど、それぞれにとって譲れない何かを、大切にしていたら、案外世間だって怖くはない。あの子を奪った世間は、案外あの子が自分から奪われにいった世間なのかもしれなかった。

 

譲れない何かを忘れないで、私はリボンとピンクを譲れない。黒いリボンも案外かわいいのだ。ピンクのブラウスもピンクの糸のはいったツイードのスカートも、仕事で纏えるピンクは少ないけど、それでも、かわいくいるには十分だった。私はそれでよかった。

 

きらきらになれないなら、瞼だけでもきらきらになれたらいいな。きらきらしててね。

 

ベランダという場所が好きだ。家と外の境界線だから。家でもなく外でもない。家でもあり外でもある。ベランダで死んだ猫。ベランダに投げ出したぼく自身は、星空さえみえない。

 

今年もありがとうございました。これで、2020年の投稿は最後になります。このブログは何年かずっと続けていますが、これまで私ではないぼくの話をしていました。でも、今回、ぼくは私であるということがついに分かってしまいました。(うすうす分かっていた方もいたでしょうが)はっきり書いてしまった以上、もう隠すすべはありません。来年は、どのような投稿になるかは分かりませんが、またどうぞ、ぜひよろしくお願いいたします。

 

 

きみとは運命

 

運命なんて、信じないし、運命なんて、諦めなきゃいけないときだってあるし、誰にもわからないようにドブ川に棄ててきたぼくの抜け殻なんかを、だいじにしてるちょっと頭のおかしいきみにも、運命はあるんだろうな。たぶん。

 

絶望的な愛と、絶対的な正しさは、この世界に存在しやしないのに、どうしてもあるような気になっているぼくは、いつまでもここにとりのこされて、ひとりぼっちなんだろう。ひとりぼっちは、さみしくない。ぼくは、さいしょからひとりぼっちだったから、きみと会えたことが、すばらしくうれしくて、しかたがない。きみと会えても、結局はひとりぼっちなんだ。人間なんて、みんなひとりぼっちなんだから、ひとりぼっちはこわくない。

 

あのひとにもらった花束なんか、棄ててしまえ。ぐちゃぐちゃにしてしまえ。きみには、その資格があるんだ。風に負けた白いシーツが、ボロいアパートの2階で揺れているのを、じっとりとにらんだぼくは、電柱に飾られたしおれ気味の花束を、おもいきり地面にたたきつけた。花束は、ばらばらになってすぐに空気に溶ける。海に行ってみたい。

 

最低、最悪、大っ嫌い!ぼくを人間らしくした、きみが憎い。ほんとは、大大大すき。ほんとはね。ひみつだよ。

 

渋谷のでかいスクランブル交差点をぼうっとながめていると、ピンクと黒の少女たちが、きらきらときらめくかばんをうでからさげて、こんなにも寒いってのに、ふとももをさらして歩いている。歩くのにあわせて、そのふとももが揺れているのをぼんやりみつめながら、私はじぶんの痩せたしろいふとももを、引っ掻く。爪にくい込んだために、ついてしまった爪痕をやさしく撫でながら、しろいシーツに繰り返し爪をたてた。しろいシーツは、いつも通りの音をたててゆがんだ。痕もつかず、たんにしろいだけのシーツは、いつまでも私を受け容れていた。

 

忘れたらいいのだとおもうのだけれど、日々の忙しさにかまけて忘却できたならばいいとおもうのだけれど、私は貴方を忘れたくなくて、ずっと覚えていたい。私は、運命を信じたかったのだとおもうけれど、叶わない運命なんてたくさんあるんだよな、私は貴方の運命ではなかったのだろうから、そういうとき、運命は叶わない。運命に、叶うも叶わないもあるのかって?私は、運命を信じない。私は、運命を信じたくない。私は、創ってきたから。壊して、なおして、創ってきた人生を、運命なんてひとことで片付けられちゃあ、たまったもんじゃない。だけど、私はきみとは運命。