水鏡文庫

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いるかの話

わたしが死んだら、彼もともにいれてほしい。わたしの涙を吸い取ってくれていた彼は、いまも押し入れから、わたしの姿を見守っている。

 

わたしは、ちいさいころからいるかという生き物がだいすきだった。ながい入院の間の外泊でみた、水族館のいるかショーは、わたしのこころをとらえてはなさなかった。人間のつくったハリボテのみずいろのなかをおよぐいるかは、それでもそのときのわたしには自由にみえた。水族館の売店で買ってもらった灰色のいるかのぬいぐるみは、いつもわたしの枕元にいて、わたしを励ましてくれた。

 

手術室に持っていってもよいぬいぐるみはひとつと決まっていた。いつもわたしの瞼が全身麻酔によって閉じるまで、その灰色のいるかはいつもわたしの手のなかに抱かれていた。手術が終わって目が覚めると、また元のように灰色のいるかは、わたしの手のなかにいた。

 

眠れない夜、深夜の病棟で、わたしは灰色のいるかとひみつのおしゃべりをした。彼はいつも、キューキューとしか鳴かなかったけれど、ずっとわたしの話を聞いてくれていたのだった。こわい手術のはなしも、いたい検査のはなしも、わたしの涙を吸い取って、キューキュー鳴くばかりだった。そのときのわたしに、言葉はいらなかった。世界にはもっともっとつらい思いをしているひとだっているのよ、母の言葉、たったそのくらいで泣くな、父の言葉、それらを信じるしかなかったわたしは、泣くことをやめた。ひたすらはなしを聞いてくれていた彼は、幼稚園に通えないわたしの唯一のともだちだった。

 

わたしは、彼の影をいつでもみていたくて、自室の天井の電気をいるかのおよぐデザインにしてもらった。でも、いるかならどれでもよかったわけではなかった。しゃべりかけても、鳴かないいるかもいたし、くどくどとお小言をいういるかもいた。でも、彼は、キューキューとしか鳴かなかったけれど、たしかにわたしのはなしを聞いてくれていたのだ。

 

11さいになったとき、彼はある日突然、キューキュー鳴かなくなった。わたしが、中学受験に追われていたつめたい雨の降る冬の日だった。わたしは、日々の忙しさに、彼に夜な夜な話しかけることも、しなくなってしまっていた。わたしは悲しかった。彼がキューキュー鳴いてくれなくなったことに。そして、彼はキューキュー鳴いてなどいなかったのかもしれない、ということに気付きはじめていた。けれど、彼の目は、いつもどおりのきらりとひかる黒い瞳だ。いつまでも、見守ってくれていた、やさしいまなざしは、いつかのハリボテのみずいろのなかをおよぐいるかを思い出させた。わたしは、久しぶりに彼に話しかけながら眠った。彼はもうひとたびも鳴かなかったけれど、たしかに彼はわたしのたいせつなともだちなのだった。

 

天井におよぐいるかたちは、彼と過ごしてきた日々を想起させた。彼はつよかった。走馬灯のような夢をみた。ハリボテのみずいろのなかを彼と一緒におよぐ夢だ。

 

わたしは、深夜のくらい窓を開けて、つめたい雨に身体をさらしながら、まるで彼みたいにキューキュー泣いた。彼を腕にだいて。あのころ代わりに鳴いてくれた、彼をだいて。