水鏡文庫

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憂鬱と明日

明日、こなくてもいいよって、思っても、残酷なのさ、明日はやってきてしまうから、私が終わらせてしまうしか、方法はなかったから、いつまでもこうして生きている。

 

憂鬱は、風が運んでくるし、風が奪い去って、また誰かのもとに。

 

なんにもみえなくて、なんにもなれない、それなのに、きみだけはみえて、だから、きみをすきでいただけだよ。

 

あ〜〜〜〜あ、またしょうもねえブログを書き始めてしまったけど、ほんとはしょうもねえなんておもってないんだな、私は。このブログがどうしようもなくすきだから。自分の分身が増えていくみたいに、たくさんつくりあげるのが、たまらないからさ。

 

私の書いた文章は、きっと脈絡などなくて、それでよくて。脈絡など、必要なかったから、捨ててしまった。

 

病院の窓から、白い雲がみえて、そこに点滴のパックが揺れて、ああ、いい映像だなって思っていたら、点滴のパックを揺らしていたのは、そこから伸びている管の繋がった手を、私が、ただ、ぶらぶらとさせていただけ、だった。そういうこと、よくあるから、かなしくなる。

 

軽蔑していた愛情と、その先にあるものは。

 

ゴミ溜めみたいな毎日が、いつまで続くなんてわからないけれど、たまにみえる青空を、大切にまもっていけたら、きっと、それで私は充分すぎたのだろう。

 

私は、終わりたくはない!もっともっともっと、しあわせになれるはずなんだ。だって、私がそういっているからね。きみもだよ。ぜったい。しあわせなきもちをたくさん積み重ねて、つくりあげようね。

 

真理なんて、どこにもない。

 

私は、多分死んだほうがいいんだろうな、そう思うことは、よくあって、たまに、普通に生きていて、あ〜、これ何?私、生きてないほうがよかったかんじ?ってなること、あるな。

 

句読点、多くないか?読みにくいよね、ごめんなさい。でも、太宰治が好きなんだよ、許してね。

 

机のなかを、がさごそしていたら、小学校時代の集合写真が出てきて、自分の顔を探したんだけど、どこにもなくて、そうしたら、過去の自分により、私の顔は綺麗に、(きっとあれはカッターナイフを使ったのだろう)、切り取られていた。私の顔があった穴を覗いてみたら、そこにはあのころの私の部屋が広がっていたものだから、慌てて、指を翳した。

 

明日の私も、ずっと私であるといいな。もちろん、きみも。