水鏡文庫

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夏は死の匂い

 

病気であることが、私の生きる術だった。病気でない私は、今までいちども存在していなかったから。病気であることで、心配されるのがたまらなく好きなのだ。とにかく両親を繋ぎとめようと必死で、自傷して、未遂して、いつもよりも優しく、生きていてくれてよかったと、そう言ってもらいたかったのだ。生きていることを承認してほしくて、存在を愛していてほしくて、海みたいに広くて深い水たまりのなかで、必死に泳いでいる。海にみえるのに、湖でもなくて、単なる水たまりなのだ。

 

最近、ものすごく子どもに戻りたくなっている。私が本当の子どものころは、正直自分を子どもだと思っていなくて、敬語も完璧だったし、物事を円滑に進めるための嘘や、周りからきこえてくる医療用語なんかも使いこなす、まったく子どもらしくない、気味の悪い子どもだった。子どものとき、ちゃんと子どもでいればよかったのかもしれなくて、いまさら子どもになりたくなっていて、でもなれるわけなくて、絶望している。多分、いまの私より、昔の私のほうが、ずっと聞きわけがいいんじゃないかな。成長してんのかな?どっちかっていうと退行してるのかも。不思議なんだけど、5歳くらいのときからずっと、いまみたいなことばっかり考えてたし、私もしかして神童だったのかな!それだったらすごく、面白いと思ってしまう。そのままでいてね、5歳の君!

 

ピンクが、どんなにかわいい女の子の象徴で、どんなにモテたい女の子の象徴であっても、いつでも私にはいちばん私の色だった。

 

死にたいって、息を吐くように言いまくっているけれど、自分のこの最悪な人生が最高に大好きになってしまったから、まだ死んでやらないって思ってる。最悪な人生じゃなかったら、出会えなかったひとも、たくさんいただろうし、この最悪な人生だったから、この人生で構築された私を好いてくれる人間に出会えたんだから、最高だと思わない?でも、死は大好きだよ。死という現象も概念も与えられた死も、大好き。

 

30歳くらいに、ふらっと江ノ島の海に行って、死のうかなって思っている。思っているだけだよ、それだけでちょっと楽しい。

 

夏って、ちょっと好きだ。春より好き。前に書いたみたいに春はみんな生きていこうとしているし、気持ち悪いんだけど、夏は死の匂いがするから、好き。一度でいいから、雨のなか傘をささずに歩いてみたい。びしょ濡れになって、髪や化粧もどろどろに落ちて、お洋服もぐちゃぐちゃになっちゃうんだけど、雨だったら、それでもいいじゃんって。雨のなか、傘をさして歩くことって、普通のことだけど、べつにささなくても幸せだと思うんだ。機能的には、さしたほうがいいんだろうけど。でも、さしたほうが幸せだよって、誰も決めつけることはできないんじゃないかな。

 

小さな抵抗を繰り返して、いつか家を出たい。すぐに家を出たいけど、脆弱すぎて、出る方法さえよくわからない。だから、今ここで生きていくことが、私がこれまでどおりに生きていくために必要なこと。Googleは私の友達かもしれないけれど、私の経験ではないから、方法を知っても、実際にできるわけじゃない。

 

でも、学校が遠くて帰りが20時を過ぎただけで、不良娘って笑い者にするのは、やめてほしいなあ。悪いこと、なんにもしていないのに。

 

知らないあいだに、きみもその子とおなじ人間になって、かつてのきみのような人間を傷付けている。

 

生まれ変わったら、植物になりたい。感覚とかなさそうだし。毟られて、死ぬ。

 

何が正しいかなんて、その善のなかにも悪はあるし、純粋な善も悪も存在しないんだろうなって思っている。だれも悪くない。

 

たくさん私がいるんだけど、居心地のよい私は何人かいて、それでいいなって思うことにしてる。正直、そのなかの誰も、ほんとうに私だなって確信が持てる私は、いないけど。

 

人間の手とか、足とか、意識しだすとめちゃくちゃ気持ち悪くて、楽しい気分になっちゃう。これをタイピングしてる指も、誰が動かしてるのか、よくわかんない。不思議な感じ。

 

人生、死ぬまでの暇つぶしなんだし、もっと楽しく生きてもいいよ。

 

私の変なところを、愛してくれてありがとう。私もきみの変なところが大好きだよ。

 

近所に、ラベンダーが咲いてるのをみつけて、ちょっと幸せになってしまう。

 

私は、私がどうやって生きていくのが幸せなのか、全然、理解してやれないけど、また、こうやって書いてるうちに、ちょっとは見つかるかもしれないから、そんな期待をしながら、天井の電気のとこにある、ブルーのイルカのライトを見つめてる。

 

イルカ、見に行きたい。