水鏡文庫

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『キラキラ☆プリキュアアラモード』第29話 自己の影をみるということ

※この文章には『キラキラ☆プリキュアアラモード』第29話のネタバレおよび画像が含まれています。それらが苦手なかたには閲覧を推奨しません。

 

私は『キラキラ☆プリキュアアラモード』という作品に対して、多大なる期待を寄せていた(いる)と言ってもいいと思っています。ここではその話はしませんが、第25話を視聴してからというもの、正直、私はこの作品を追い続ける気力を失ってしまっていたのです。ですが、第29話を視聴して、ほんの少しではありますが、心に立ち込めていた暗雲が晴れていくような気持ちになれたので、その話をしたいと思います。

 

プリキュアは、子どもたちの憧憬の対象でもありますが、そのなかに自己の影を見出す子どももいるということを、決して忘れてはならないと思っています。それは共感と呼ばれ、ときに私たちを強くしてくれるものになり得ます。ちなみに、ここでは便宜上、子どもたちと表記しましたが、プリキュアを視聴しているすべての者に対して言えることだと思っています。なぜなら私も、そのひとりであるからです。また、誰も他者を外見的で社会的な判断のみを材料に、まったく子どもではないと定義づけることはできないと思っているからです。私は、いわば悪役側のビブリーという少女に自己の影を見ています。たしかに、私はそこにいたのです。これからの彼女の行く末は、私の不安の根源です。

 

第29話で、琴爪ゆかりが鏡(自己の姿)と向き合う描写がなされます。自己の心のなかの深いところに入りこんだ彼女は幼少期の自己の影に出会うのです。幼少期の影と対面した彼女の背後には、多くの彼女の姿が鏡に映っています。これらは彼女の栄光でもありますが、同時に呪縛のようにもみえます。これは心理学的な話ですが、さまざまな人格をつけはずしのきく仮面のように場面に適応させているうちに自己を統合できなくなるということはよくあるケースです。

 

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このカットに対してひどく共感しましたし、私の心的世界をビジュアル化したのならば、まさしくこのような構図になるだろうと思いました。私が、精神的にまいっているときには、たいてい幼少期の自己の影と対話します。幼少期の自己の影は、幾度も幾度も現れて、いまの私を苦しめます。

 

ですが、幼少期の自己の影を受け容れることで姿はだんだんと薄くなり、その影は私の心底で安らかに眠ることが許されるのです。受け容れることは、認めることに等しいとさえ思います。がんばっていたんだね、えらかったね、あなたのことが大好きだよ、私はそう言ってほしかったのです。幼少期の私は、たったその言葉を誰かにかけてほしかった。それだけでした。

 

過去の出来事は変えられないけれど、幼少期の自己と対話し承認することで、昇華することならできると思っています。それが顕著なのが、この第29話の琴爪ゆかりです。

 

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過去の自己の影を受け容れて、影を抱きしめながら好きだと言葉をかけたことで、幼少期の彼女の影は安らかに眠ることが出来たのだと思いました。そして、その幼少期の彼女の影は、新たに彼女の力に加わって、さらに彼女を強くしてくれたのだとも思いました。

 

第29話で、行くあてのないぼんやりとした寂寞を抱いていた子どもたちが、共感によってすこしでも救済されていたら、うれしいと思うばかりです。

 

ですが、この文章が、第29話のみを考えたときのものにすぎないということを、知っておいてほしいと思っています。なぜなら、話が続いている以上、第25話はなかったものにはできないのですし、第25話の琴爪ゆかりもまた琴爪ゆかり自身であるからです。第29話の展開のみをみた場合に、私は救済される子どもたちの可能性を見出したということです。第25話の放送まで彼女の存在に救済されていた者が、突然に突き放されてしまったことは事実です。それはすごく悲しいことです。第25話から、一切視聴する気力を亡くしてしまっていた私もまた、強く美しい彼女に対してぼんやりとではありますが、憧憬の念を抱いていたのだと思います。散らばった感情の破片をかき集めて拾い上げるように書いた文章でした。