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水鏡文庫

好きなことを好きなだけゆるゆる綴るブログ

輪廻の果てに飛び降りる

みなさんごきげんよう。水鏡です。

お久しぶりですね。
ずいぶん間があいてしまいました……

今日のタイトルは、スピッツの「青い車」からいただきました。
私は、スピッツが昔からだいすきなのですが、なかなか意味深な歌詞が多いので、たくさんの解釈がたくさんの方によってなされています。

君の青い車で海に行こう
おいてきた何かを見に行こう
もう何も恐れないよ Oh…
そして輪廻の果てに飛び降りよう
終わりなき夢に落ちて行こう
今 変わっていくよ
(草野正宗 作詞)

これは心中説があります。
たしかに、そう解釈できますよね。
私もそうだと思っています。
それにしても意味深……
もともと、草野マサムネさんはセックスや死をテーマに曲を書くので、多くの曲にそれらのメタファーが散りばめられています。

あとは、Mr.Childrenもだいすきです。
最近のだと「斜陽」と「足音〜Be strong 」が好きです。あとは「innocent world」と「終わりなき旅」がやっぱりだいすき。

さて。好きな音楽の話はこんなところで。
今日のテーマは哲学のこと。
私は大学で哲学の講義もとっているのですが、とても興味深いのです!
「わたし」という存在や魂について、文学をテキストにして読みとる講義です。
とくに、志賀直哉が「わたし」について述べた文章が印象的でした。

私はナイルの水の一滴に過ぎないが、それは後にも前にもこの私だけで、私という者は現在の私だけなのである。

すこしおおざっぱだけど、こんな感じ。
そして文章の結びには
「直哉」と自らの名前を書いて
たったひとりの私をアピールしている。
プラスのイメージ。
前向きです。

けれど、このあと晩年にこの文章を改変しているのです。

「私は依然として大河の一滴に過ぎない。それで差し支えないのだ」

私という存在を示す「直哉」という名前はなくなっています。
私なんて結局は単なる一滴であって社会を構成するうえで大したものではないのだ、というわけです。
亡くなる直前に改変されたこともあり、人生を達観したかのような内容に変わっています。

宮沢賢治はわたしを
「仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明」
「因果交流電燈のひとつの青い照明」という「現象」だと詩集 春と修羅のなかで書いていたのを思い出しました。

たかがわたし、されどわたし。
どっちが正しいかなんてわからないけれど
自分が生きていくなかで
すこしずつ見つけられたらいいのかしら。
わかりませんね、答えは求めなくていいの。
世界にはふたつの問いがあって。ひとつは答えがきちんとあるもの。もうひとつは果てしなく答えが広がっていて、誰にも正解はわからないもの。
誰にも正解はわからないのだから、たくさんたくさん解釈があっていいんです。
自分の解釈だけが正しいと盲信して猛進する、他人に押し付けてはならないのです。

人生に正解はないでしょ?
それと同じ。
どう生きても自由。
他人に自分の生き方を押し付けてはならない。

だから私は人生と問いは似ていると思います。
私はいま、私自身の精神を理解しようと闘っています。正直、学校という場に私はあまり適応できません。
だから人間が怖くてお昼の学食がきらい。
けれど、仕方ないなって自分を理解してあげることができたなら、楽になれるのかも。

いうなれば
私はいま片足でしか立てないのです。
ふらふら。ふらふら。
それを支えるお薬と病院がないと立てない。
けれど、いつかは自分の足で立てたらいいな。

まだまだ先は長い!
永遠に続くように思える道だけれど、
みんな最期は同じだものね。
ただ常套句のように頑張れ、という言葉を言われるのも言うのもあまりすきではないから。
最近、私は漠然と社会に向いていないから、就職なんて出来やしないのじゃないかなんて3年後のことを考えて不安になることが多いのです。

でも。
死を夢見て生きろ!それだけ。ふふ。
それではまた…

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